------------------------------------------------------------- 系列関係が複雑に錯綜している我が国の取引実態は、外部からはなかなか 理解されにくい。系列という言葉にしても概念の幅が広く、ある意味では捉え 所のない言葉であるだけに、様々なインタープリテーションや政治的意図と組 み合わせて議論されることが多い。今般、日本企業の系列関係が外国からの輸 入に対する障壁となっている、なかでも旧財閥系のいわゆる水平系列が特に問 題であるとの議論が、ブルキングズ研究所のロバート・ローレンスより提起さ れた(注)。 統計学的手法を駆使したローレンスの議論の展開は、一部の専門家の間では 簡潔にして明快との評価を受けている。米国のマスコミの報道ぶ りをを見 ると日本の系列が輸入障壁となっているという米国側の主張を、今までで最 もしっかりとした証拠でもって裏付けるもの」であり、「日本人を守勢に回 らせるに十分な証拠を突き付けた」と鬼の首を取ったかのごとくである(注)。 ただ残念なことに統計分析用語に慣れない我々一般の人々にとっては、この ロジックは必ずしも明快ではない。むしろ極めて難解である。いきおい「系 列こそが問題」 という結論部分だけが一人歩きをはじめることになる。四 月十五日の米国上院通商問題小委員会でも、ローレンスよりこの結論部分だ けが報告された(注)。 特に注目されるのはローレンスが系列の中でも垂直系列の場合は輸入 を抑制するものの、ある程度の合理性がある。しかし水平系列の場合は輸入 を抑制している上に経済的な合理性もない、よって(日本社会の効率化のため にも)水平系列を問題にしなければならないとの構造協議に独特の「解放者の 論理(注)」を展 開していることである。 確かに一般論として系列には閉鎖的なイメージがあり、一部に前近代的なムラ 的な性格も残っている面もある。今後、外国企業にとっても十分理解できるよ うな透明性の高いものにして行かねばならないことは事実であろう。しかし問 題は、「水平系列」こそが悪者であるとの特定にあり、はっきり言ってこれは 我々の感覚とは合致しないのである。 このローレンス論文は、客観的なデーターの計量的分析をベースにした 総合的判定という点に特徴がある。 その意味では個別に事実やデーターを挙げて 各論で反論しても余り説得力を持たない。本稿ではローレンスの論理展開をわ かりやすく整理し、それに対するミシガン大学のサクソンハウス教授のコメン ト等を紹介しながら、ローレンスのロジックを吟味することにしたい。 結論的に言って、「水平系列」こそが問題であるとするローレンスの分析は今 一つ根拠に欠けているように思われる。手法的にやや問題がある様でもあるし、 また仮に彼の分析結果(系列度と輸入浸透度、輸出市場シェアの相関性など)を そのまま受け入れるとしても、すぐさま水平系列は経済合理性に欠けるとの結 論には結び尽きにくいと思われる。 [ローレンスの分析ロジック] このローレンス論文の要旨は「公正取引」の9月号にも掲載 されているが(注)、前述のとおりロジックの吟味が本稿の目的であり、若干の 重複となるが以下で簡単に整理したい。ローレンスは、従来の系列問題に 対する識者の立場を次の三つに分類し、どれが正しい立場なのか客観 的に明ら かしようとする。 第一の分類とは、「系列無害論( b e n i g n n e g l e c t)」と もいうべき議論であり、系列の有無は日本経済のパフォーマンスとはほとんど 関係がない、よって構造協議で系列を議論すること自体意味がないと主張する もの。 第二の分類は「独占叩き論( t r u s t - b u s t i n g)」というべき議論だ が、 系列は新規参入への参入障壁として機能しており、且つ、経済的に非効 率的であるから日本の消費者のためにもなっていない。日米貿易不均衡の解消 のためにも日米構造協議で系列を問題視するべきだとの立場である。 第三の分類は、「ジレンマ論( t h e d i l e m m a p o s i t i o n)」とい うべきもので、系列は外国製品の日本への輸出を阻んでいるが、系列自体は合 理的なものであり、日本産業の効率を高めて、日本の産業競争力を向上させて きた。その結果として外国企業の日本向けの輸出は難しくなっているもので、 系列は日本の消者者の不利益をもたらしているものではない。日本として は効率性を採るか対外的な門戸解放を採るかの二者択一に迫られているという ものである。この場合、貿易不均衡を解決するための米国側の対策としては、 管理貿易をやるか(プレストヴィッツの主張)、米国企業も日本を見習って独自 の系列を作るか、日本の系列を利用して日本市場への参入を図るか等の道が望 ましいということになる。 上記のうちどの立場が正しいのか、 非常に重要な判断基準であるにかかわらず、 客観的な分析に基づく公正な判断がされていなかったとローレンスは総括し、 次のような分析を始 める。 まず、上記の「系列無害論( b e n i g n n e g l e c t)」が正しいかどうか を見る為に系列が輸入を阻んでいるかどうかを調べる。そのやり方だが、日本 の産業を三七業種に分けて、その業種毎に旧財閥系などのいわゆる水平企業系 列八グループと新日鉄、日立、トヨタなどの垂直企業系列九グループの売上シェ アを量り、それを各産業毎の水平系列度・垂直系列度とする。次にそれぞ れの業種毎に、その業界が作っている商品の輸入浸透度(国内需要に占める輸 入品の割合)を計算し、この輸入浸透度と系列度の統計的な関連性を調べる。 もし両者が無関係であれば「系列無害論( b e n i g n n e g l e c t)」が正 しいことになるが、ローレンスが調べてみると水平・垂直系列度と輸入浸透度 の間に負の相関性が認められた(水平・垂直系列度が上昇すると輸入浸透度が 低下するという有意の関係が観察できた)ことで、上記の「系列無害論( b e n i g n n e g l e c t)」は正しくないと結論付ける。 しかし、輸入が少ない理由が系列の閉鎖的取引慣行によるものか、それとも系 列のおかげで系列企業の産業競争力が上昇したためなのかを明らかにする必要 が残る。それ次第で「独占叩き論( t r u s t - b u s t i n g)」が正しいの か、「ジレンマ論( t h e d i l e m m apo s i t i o n)」のどちらが正 しいかが決まる。 この判定方法だが、今度は系列度と産業競争力の相関性を分析し、系列の形成 が業界の競争力を向上させているかどうかを見る。産業競争力を量るものとし て、業界毎にその業界の製品の世界市場での輸出市場シェアを計算し、それを使う (産業競争力が上がると世界市場シェアも上昇すると考える)。この輸出市場シェ アと水平・垂直系列度の関係を統計的に分析した結果、垂直系列度が高まると 輸出市場シェアも高まるという相関関係が観察されたが、水平系列度について は輸出市場シェアとは有意の相関関係がない( t値が非 常に低かった)と判定す る。 このことから「垂直系列」については輸入を阻害していることは事実 だが、系列企業の国際競争力も同時に高まっており、それなりに経済的合理性 があり、垂直系列については「ジレンマ論( t h e d i l e m m a p o s i t i o n)」が正しいと結論付ける。しかし、「水平系列」については輸入を阻害 している事実に加え当該産業の競争力の向上も見られない。よって水平系列関 連産業の製品輸入が少ないのは日本の当該産業の競争力が強い為ではなく、 系列企業の輸入制限的取引慣行のためである疑いが強いとの結論に 辿り着く。 このローレンスのロジックをフロー・チャートで表してみたのが(図1)である。 すこぶる明確な流れ図であり、いかなるデーターを入れても必ず三つのうちの 一つの分類に仕訳される仕組みになっていることがわかる。中間というものが ないのである。現実の経済社会は果たしてこのように単純明快なものであるか については疑問が残らないでもない。 [ローレンス論文への疑問点] 内外の論者のコメント等もまじえ、 このローレンスの主張に対する疑問点、 納得のゆかない点を整理、列挙してみたい。 (一)相関関係と因果関係 これはまず誰もが真っ先に考える疑問点であるが、二つの数字に「相 関関係」があったとして、そのことから両者の間に「因果関係」があると簡単 に断言することは如何がなものかとの疑問であろう。日本の輸出入パフォーマ ンスと系列は共に日本経済のユニークな特性であるが故に、 これらの二つの変数 同士をを回帰分析をすると、いずれもが日本的であるという共通項を介して両 者の間に表面的な相関関係が観察されることは十分予想されることである。問 題は因果関係である。系列と輸出入パフォーマンスの関係にしても系列が 原因で輸出入パフォーマンスが結果であると断定するにはもう少し吟味が必要 であろう。例えば、仮に系列度と輸入浸透度の間に負の相関関係があったとし ても、系列のおかげで輸入が少ないのか、輸入が少ないので系列があるのかが (どちらが原因でどちらが結果か)はっきりしない。一つの例を挙げると、加工 組立産業において国産部品が安くて品質がよいため国産部品の購入を推し進 めると、両者の間に自ずと系列関係が形成されてゆくが、この場合系列のお かげで輸入が少なくなったというよりは、むしろ逆の説明が正しいと言えるだ ろう。 極く自然に考えても、日本国内で何らかの商品が大規模に製造されている場合、 その商品の輸入はそれほど増加しないと考えられる。また大規模生産が国内で 行なわれている以上、そこには長期的取引関係も含めた系列関係が出来上がっ ていると考えられる。この場合、統計的に調べると系列形成と低い輸入浸透度 の間に相関関係が必ず現われてくるはずだが、これをもって系列が輸入を阻 んだとはいえないだろう。 (二)技術的問題点 サクソンハウスから指摘されている問題点であるが、ローレンスが主に一九八 五年時点の業界毎のクロスセクシ__ンデーターを利用して分析していることに 対する批判がある(注)。このクロスセクシ__ン分析ではそれぞれの業界の系列 度と輸出入パフォーマンスの間の相対的な違いについての分析はできるが、系 列度と日本産業全体の輸出入パフォーマンスの関係を説明することができな いのである。これは単に系列度が比較的小さい業種の製造品目については他 の業種の品目に比較して相対的に輸入が多いということを示すものに過ぎない。 日本全体の系列度が平均して低くなれば日本全体の輸入が増えるという結論に までは結び付け られないのであるる またもっと技術的な問題もある。ローレンスは輸出入パーフォーマンスを十の 説明変数で重回帰したわけであるが、その複数の説明変数間に相関関係が存在 すると分析結果自体が極めて信頼性に欠くものになってしまうとの問題がある (多重共線性の存在。注)。ローレンスの使った説明変数の内で、原料集約度、 資本集約度、技術集約度等の説明変数間には相関関係が存在すると考えるの が自然であり、そうすればローレンスの回帰分析の精度も相当大きく低下し ていると考えられる。 (三)産業の効率性の判断方法について ローレンスは系列が輸入を阻害する原因となっていても、それが当該産業の競 争力(効率性)の向上を伴うものであれば合理的と判定する。この産業競争力の 向上があるかどうかは当該産業の輸出市場シェアでもってその判断基準とした ことについては前述のとおりである。果たしてこの判断基準に問題はないので あろうか。 つまり商品の競争力を構成する要素のなかには価格と品質だけではなく、特定 の市場でしか通用しない(よって輸出が不可能な)特殊な競争力要素が存在する と思われるからである。すなわち看板方式対応する納入業者のきめ細かな納期 管理サービスは、商品の競争力の非常に重要な部分を占めるし、購買担当者と 納入業者の親密な人間関係は、短期的な商品価格には現われないとしても継 続的・長期的に取引コストの引き下げが期待できることで、取引判断上、重要 なアドバンテージと考えられよう。しかしこれらのサービスは海を越えて輸出 はしにくい。輸出できるものは、これらのソフトを最小限に限定したハードの 商品部分のみなのである。 ちなみに、垂直系列とは、通常、大量生産方式に適合した系列である。ハードの 商品部分を大量に安価に製造し世界市場に売りまくるシステムともいえる。こ れは単純明快であり、 ローレンスのロジックでも競争力ありと判断される。しか し伝統的な鉄鋼、重化学工業品などのどちらかと言えば水平系列度の高い企業 で生産される商品の取引では、商品単体ばかりではなくそれに付属したソフト 部分(長期的取引関係から生ずる取引コストの削減効果あるいは供給者が 行なう情報提供などのサービス等) が商品と同様に重視されることが多い。この ような利点は売り手と買い手が近接する国内取引ではアプリシエートされても 売り手と買い手の物理的距離が遠い海外取引でそのまま 通用するものではない。 またこのような基礎的商品については、歴史の古い輸出商品であるだけに、日 本企業の輸出自主規制の対象となっているものが多く、競争力のありなしとは 関係なく、輸出は管理されているケースが多いと想像される。よって、輸出が 少ないことから当該産業の競争力はないと断定する議論には問題があると思わ れるのである。 (四)長期的な評価はどうか さらに、系列が短期的に競争制限的に見えると仮定しても、長期的に見 ても同じことが言えるとは限らないという問題がある。過去において、日本の各 産業分野がそれぞれ水平系列ごとに縦割りにされていることによる企業規模の 過小性が問題にされた時期もあった。系列のおかげで効率の悪い企業が生き残っ ているという批判である。しかし長期的に見ると結果的にそれがよかったとい うことが明らかになっている。系列のおかげで小さい企業が生き残ったこと が、長期的には競争関係の促進、企業体質の強化につながってきたとも言え る。この議論は古くから存在するものだが(注)、長い目で見れば「水平系列」 は日本の産業間の競争を促進する方向に機能したことも事実である。 (五)系列がなくなれば輸入が増えるのか 百歩譲って、系列が輸入を妨げているとして、系列を何らかの手段でもってな くならしめば輸入が増えるのかという問題が残る。ローレンスは調査対象産業 の現在の輸入額230億ドルが580億ドルに、約二倍になる可能性があると しているが、これはないだろう。産業クロス・セクシ__ン分析の結論を一国の 輸出入パフォーマンスには適用できないことは前述のとおりだが、さらに一国 の経常収支は貯蓄・投資バランスで規定される以上、貯蓄・投資バランス が変わらないとすれば、いくらミクロレベルでの規制を行なっても(例えば水 平系列を解散するといった産業構造面での規制を加えても)、経常収支のアン バランスは一時的に縮小するが、為替が円安に動くなど他のパラメーターが変 動することによって、結局は以前とほぼ同じ水準に収斂することになろう(注)。 だからといって、ミクロレベルでの構造改革は意味がないと主張するもの では決してないが、「系列なかりせば輸入は何百億ドル増加する、云々」 という 議論は、数字が一人歩きすることを考えれば、極めてミス・リーディングな議 論と言えないだろうか。 (六)流通市場との関係 最後に一つ述べれば、もし系列が非効率的で輸入制限的にもう機能し ていたとしても、最終財の流通市場が完全にオープンであれば、効率の悪い 系列企業は輸入品との競争に負けるので生き残れない筈である。流通の問題さ え解決されれば系列の問題は、たとえ存在するとしても、自ずと解決される性 格のものといえる。 (図2)はそのあたりの関係を図式で示したものである。輸入 品が入らないという問題は、基本的に流通の問題であるといえる。はっきり言っ て、この系列論議ではどうも鉄砲の筒先が正しい方向に向いていないので はないかとの疑問が残るわけである。 日米構造協議が今まで着実に前に進んできた背景には、何と言っても日本国内 に米国側の主張がもっともだとする厚い支持層が存在したことが挙げられよう。 ところがこと系列については日本国民でこれを問題視 ` する人は、他の問題と比 較して明ら ` かに少ない。(表1)は日経産業研 ` 究所が日米構造協議の議題につい て ` 全国のビジネスマン約千人を対象に ` 実施したアンケート調査の結果であ ` るが、流通、土地問題などと比較し ` 系列問題の捉え方は明らかに異なることが わかる。系列問題を交渉テーブルに載せることに対して一般の日本人ビジネス マンは納得していないのである。 仲善く協力しながらものを作ることは良いことだという 価値観の中で日本の企業社会そのものともなっている系列を取り上げて、こと さらそれを問題視しても建設的な結果が得られるとは思えない。構造協議は「 解放者の論理」である点については先に触れた。この論理を貫徹するため には当然のことながら「解放されるべき人々」の存在が前提となる。しかし系 列論議の場合、どうもその肝心の「解放されるべき人々」の顔が見えてこない のである。 [系列は強すぎるから問題か?] 以上のとおり、ローレンスの水平系列は「非効率であるがゆえに」問題で あるという議論は、根拠が薄い様に思われる。けれども、筆者は決してやみく もに系列の効率性を主張するものではない。もし系列はいかなる場合でも効率 的だともなれば、最初に述べた系列に対する三つの立場のうちの「ジレンマ論」 が優勢になってくる。現実に、系列は効率的で強力であるからこそ米国産業に とって問題なのであると考える人も多いからである(注)「ジレンマ論」は 管理貿易論に結びつく可能性があることは前述のとおりである。 しかし現実はローレンスのロジックのような単純化されたモデルで白黒を 明快に決めてしまうようなものではないだろう。観念的な論議ではなく、個別 問題をベースにした地道な議論を積み上げてゆくという姿勢が望まれる。 以上 Robert Z. Lawrence,SeniorFellow, TheBrookings Institution,"EFFICIENT OR EXCLUSIONIST? THE IMPORT BEHAVIOR OF JAPANESE CORPORATE GROUPS", MARCH26,1991 WashingtonPost,"A New Study Fuels the Clash Over Keiretsu", April 26, 1991 Statement o fRobert Z.Lawrence before the Subcommittee on International Trade, Committeeof Finance, U.S.Senate April 15, 1991 ロマノ・ヴルピッタ、「解放者」の日本解釈 文化会議、平成2年11月号 効率的か排他的か?日本企業グループの輸入行動 公正取引、’91.9) Gary R.Saxonhouse, Department of Economics,The University of Michigan, "Efficient o rExclusionist? The Import Behavior of Japanese Corporate Groups: Comment received on June24,1991 計量経済分析の基礎と応用 (日本銀行調査統計局) 島田克美、「主導国日本と系列主義ー系列主義の勝利ー」、ESP'82.6 三輪芳朗、KEIRETSU TRADES AND PRODUCT IMPORTS, February1991 スーザン・バーガー、MIT、91年6月17日、PSGセミナーでの講演 |
1991年10月1日火曜日
日本企業の”系列関係”について ーローレンス論文を読んでー (財)公正取引協会「公正取引」1991年11月号への掲載論文
1991.10
登録:
投稿 (Atom)